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乙景の店内が薄暗いのはなぜか? – 乙景の空間づくりについて

―――私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。(引用:谷崎潤一郎『陰翳礼讃』)

初期の耽美的な女性愛やマゾヒズムから、通俗性と芸術性を高いレベルで両立させた後期まで、卓越した筆力で知られる文豪谷崎潤一郎。彼はエッセイ「陰翳礼讃」の中で、こんな一文を残しています。

彼は日本の美意識とは「陰翳」にこそあり、煌々と何もかもを照らし出すような光はあくまで西洋的なものだと指摘しました。

この「陰翳にこそ美が宿る」という考え方は、乙景でも開店当初からとても大切にしている美意識です。今日はV.O.Fが乙景の空間づくりに込めた想いについて、少しくお話したいと思います。

衣服の「小さな声」に耳を澄ませて欲しい——乙景の照明が薄暗い理由

夜の乙景

一度でもご来店くだされば、乙景の照明がやたらと薄暗いことにお気づきになるでしょう。それこそ、お店にパッと入って、サッと見るだけでは、イマイチ衣服が見えないくらいに。今はまだ明るくなったほうで、開店当初はもっとずっと暗くしていたものです。

様々な人から「見えない」「暗い」と驚かれることもしばしばですが、乙景の薄暗さにはきちんと理由があります。それは「衣服の“小さな声”に耳を澄ませて欲しいから」です。

声の大きな人の話は、近くに行かなくても聞こえてくるので、あえて近づいてまで聞こうとは思わないもの。一方で、声の小さな人の話は、近くに行かなければ聞こえません。だからつい近づいて、じっくり耳を澄ませたくなるものです。

なるほど、照明が明るければ衣服の“大きな声”、例えば目を引くデザインやシルエットは聞こえやすくなります。しかしそれでは衣服の“小さな声”、つまり生地の質感や美しい縫製、ディテールがかき消されてしまう。

JAN-JAN VAN ESSCHE / "COAT#24" TOBACCO LODEN

これに対して照明が薄暗いと、“小さな声”を聴き漏らすまいと近づき、自ずと生地に触れ、ディテールに目を凝らすはず。

しかも、そうやって店内でじっくりと衣服をご堪能いただいていれば、5分、長くて10分もすれば薄暗さに目が慣れてきます。耳を澄ませるほど小さな声が聞こえるように、一着一着が少しずつはっきりとしてくることでしょう。

少ないアイテム数だけれど、ゆっくり時間をかけて、じっくり見て欲しい―――乙景の照明にはそんな想いを込めています。

緊張と弛緩のはざま——「香り」と「人の気配」について

煙が立ち上るインセンス

乙景には、他にも空間づくりで大切にしていることがあります。張りつめすぎず、緩みすぎない、緊張と弛緩(リラックス)のはざまを演出することです。

例えば店頭の「香り」。詳しくは秘密ですが、乙景では強く、緊張感を持たせる香りと、心をホッと緩ませてくれるような優しい香りを混ぜて使っています。

店頭に並んでいるアイテムも、演出の一部。外されたままのシャツのボタン、解かれたままのシューレースなど、誰かが着た跡、脱いだ跡をあえてそのままにすることで、「人の気配」を残しています。

もちろん、何もかもビシッと整えることもできます。でもちょっと隙があるくらいのほうが、きっと居心地が良いはず。だから音楽やお客様とのコミュニケーションでも、そうした隙を大切にしています。

GUIDI / "205" CARF REVERS NEW HIKING / SOLE LEATHER / CARF FULL GRAIN / BLKT

乙景に並ぶ衣服は、どれも作り手の想いがこもった美しいものばかりですが、かと言って背筋を正さなければ入れないようなお店ではありません。緊張と弛緩のはざまで、じっくり、ゆっくり、衣服を堪能しにいらしてください。