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JAN JAN VAN ESSCHEのチュニック、ZIIINのDARMA – 東西文化から考える“非合理な衣服”が生み出す美しさとは?

引用:Wikipedia

近年中国では伝統衣装である「漢服」が人気を集めているらしい。WWDのレポートによれば、若い世代を中心に漢服ファッションに身を包んだ人々が集まって、撮影をし合うイベントまで開かれているそうだ。

漢服を含め、JAN JAN VAN ESSCHEのロング丈のチュニックや、ZIIINのスリータックのワイドパンツDARMA、京都の舞妓さんたちがまとっている着物。一見すると着づらい衣服には、同時に抗いがたい魅力がある。

確かにこうした余白の大きな衣服は、はっきり言って無駄が多いし、歩きにくかったり、座りにくかったりすることも多い。だから現代では、無駄のない“合理的な衣服”がスタンダードになっているのかもしれない。

でも僕は、こういう“非合理な衣服”ならではの美しさがあると思っている。

以下、V.O.Fのライターを務めている僕こと鈴木直人が“非合理な衣服”を着るようになって感じたこと、そして東西文化の違いを踏まえたうえで、“非合理な衣服”が生み出す美しさについて考えていることをつらつらと書き連ねてみたい。

JAN JAN VAN ESSCHEのチュニックに感じた“非合理性”

「歩きづらいし、座りづらい。食事の時に袖が汚れやすい」

去年の夏、僕が初めてJAN JAN VAN ESSCHE(以下JJVE)でロング丈のチュニックを買って着たときの素直な感想だった。

階段を上ろうとすると足を引っ掛けそうになるし、電車で座ろうとすると生地が広がるから、いちいち裾をまとめて座る必要がある。袖幅が広いせいで、食卓の奥にあるものを取ろうとすると、手前の料理に袖がついて汚れるので、その都度袖を手で押さえて取らないといけない。

21SSのチュニックは全て半袖だから、袖の問題はないだろうけれど、多分その他の問題は変わらず生じるはずだ。

ZIIIN 20SS DARMA PANTS
ZIIIN 20SS DARMA PANTS

V.O.F発のブランドZIIINの定番ワイドパンツ「DARMA」も同じだった。21SSのモデルはややテーパードシルエットになっているからどうなっているかはわからないが、少なくとも20SS・AWのモデルは階段を降りるときに裾に足を引っ掛けることが多かった。

座る時も少しウエストを引き上げてから腰を下ろさないと、座ったあと動きにくくなったりする。

もちろんJJVEのチュニックにしろ、ZIIINのDARMAにしろ、最後で説明するような美しさがあるし、締め付けの少ない衣服なので着ていてものすごくリラックスできるというメリットはある。でも同時に、今あげたようなデメリットがあることも確かだ。

自分たちが売ったり、作ったりしている服のデメリットを挙げるなんて普通の服屋はやらないのかもしれないが、僕自身が感じたことなのだから隠していても仕方がない。

ファストファッションのメーカーなどが作る衣服に比べ、JJVEのチュニックやZIIINのDARMAには一定の不便さ、非合理性がある。それは事実だ。

なぜこんな違いが生まれるのか。色々と調べてみると、なんと時代を400年もさかのぼることになった。ちょっとマニアックな話になるが、付き合っていただけると嬉しい。

歴史でひもとく、西洋の美学・東洋の美学——日本人が持つ衣服のcontextとは?

チャールズ1世
チャールズ1世
引用:Wikipedia

西洋の衣服が「動きやすく」なったワケ

ファストファッションのメーカーなどが作る衣服は、基本的にトップスとパンツがヘソのあたりではっきりと分かれている。「当たり前でしょ?」と思うかもしれない。

しかしなぜ「ロング丈は難しい」のか?歴史と文化で考える日本人男性とロング丈の関係性でも触れたように、この形式のファッションが定着したのは、西洋で400年、日本ではたった150年ほど前の話だ。それ以前は大半の人類が、男女問わずロング丈を着ていたのだ。

日本人がロング丈からショート丈に鞍替えした理由については、すでに前掲ブログで紹介した。しかしなぜ、西洋の人たちは400年前にショート丈に変わったのか。僕はここに西洋の美学と東洋の美学の大きな分岐点があると考えている。

合理主義のパイオニア、哲学者ルネ・デカルト
合理主義のパイオニア、哲学者ルネ・デカルト
引用:Wikipedia

その分岐点とは「合理か、非合理か」だ。

400年前つまり1600年ごろから西洋の人たちは“衣服の動きやすさ”を重視し始める。特に男性のトップスはウエスト位置が高くなり(ショート丈になり)、パンツの裾幅は狭くなっていく。つまりは合理的な衣服を好んで着るようになっていったわけだ。

この「合理的なのは良いことだ」という価値観を合理主義と呼ぶ。

現代日本では当たり前のように「合理的だ」「合理的じゃない」などと言うが、実はこの合理主義というのは、ちょうど16〜17世紀(1500〜1600年代)に生まれた、歴史的にはけっこう新しい価値観だったりする。

どうしてそんなことが言えるのか。それは、この時期に合理主義のパイオニアみたいな人たちがポコポコ出てくるからだ。

近代科学の祖、フランシス・ベーコン
近代科学の祖、フランシス・ベーコン
引用:Wikipedia

・1637年に、合理主義のパイオニア、ルネ・デカルト(1561〜1650)が『方法序説』を出版。
・1603年、近代科学の基礎を作ったフランシス・ベーコン(1561〜1650)が『自然の解明・序論』を出版。
・1642年、「人間は考える葦である」や確率論の発明で知られるパスカル(1623〜1662)が加算機(計算機の原型)を発明。 など

この時代は、宗教的な側面からも合理化が進んだ。1642年〜1649年に起きた清教徒革命は当時勢力を増していた清教徒(ピューリタン)が起こしたものだが、彼らは合理主義を宗教に持ち込んだ人たちだった。

いわば当時の人たちにとって合理主義はあらゆる分野におけるトレンドだったし、以降も「合理的であること」は西洋の美学に積極的に取り入れられていく。

ファストファッションのメーカーなどが作る衣服が今の形になったのも、もとを辿ればその結果と言えるのだ。

日本人が持つ衣服のcontextとは?

1920年、第20代内閣総理大臣、高橋是清の家族。この時代にもまだ和服を着ている。
1920年、第20代内閣総理大臣、高橋是清の家族。この時代にもまだ和服を着ている。
引用;Wikipedia

西洋が持つ合理性の美学から見ると、日本人が持つ衣服のcontext(文脈)は非合理なものが多い。

着物は着用するのに時間も手間もかかる。いざ着ることができても、あまり派手に動くと着崩れるし、油断をすると裾がはだけて下着が見えてしまう。JJVEのチュニックと同じで、食事の時は袖を汚さないように注意を払う必要がある。

事実こうした和服の非合理性が問題視され、大正期の日本では「服装改善運動」なるものが推進されている。

これは当時国家的な課題であった生活様式の合理化をはかるための、「生活改善」の一環として行われた運動で、目的は和服から洋服への転換を促すことにあった。

にもかかわらず、日本人はつい最近まで和服を着続けてきた。理由は色々とあるだろうが、僕はそこに日本人が持つ東洋の美学があったからだと考えたい。

江戸時代の町屋建築。
江戸時代の町屋建築。
引用:Wikipedia

「日本人が持つ東洋の美学」とは何だろうか。建築家でありプロダクトデザイナーでもある黒川雅之氏の著書『八つの日本の美意識』の言葉を借りれば、「素」の美学と言える。

ありのままこそが美しい。人間が手を加えることで不変でありつづけるのではなく、自然に変化し、朽ちていくその様子にこそ美しさがある。

こういった美学があったからこそ、日本人は建築に堅牢な石ではなく、年月と共に風化していく木や土、紙を使い続けたのではないか。黒川氏はそう指摘する。

だからこそ、日本人は素材のありのままを大切にする。

「素材を生かすことが最大の関心事となるから、形は素材の美しさを際立たせることだけを考えることになるのです。できる限り単純で素材が生き生きする形を探すと言うのが日本の形に対する姿勢だったのです」。(引用:前掲書p119〜120)

このような考え方で衣服を作ると、着物のように直線的で縫い目の少ない衣服ができあがる。直線的なパターンは生地を余すところなく使えるし、縫い目の少ない構造は生地の裁断を必要最小限に抑えられる。だから素材のありのままをフル活用できる。

結果として非合理な部分も生まれてしまうわけだが、日本人の美学に照らすと「それは仕方ない。だって素材を大切にしなきゃいけないから」ということになる。

西洋の主人公は人間だが、日本や東洋においては人間を含めた自然こそが主人公。日本人が持つ衣服のcontextにはそういう世界観、美意識が流れているのだ。

“非合理な衣服”が生み出す美しさについて

では非合理な衣服はどんな美しさを生み出すのだろうか。非合理な美を言葉で表現するというのは、なかなかに無茶な話だが、ちょっと挑戦してみたい。

例えばJJVEのロング丈のチュニックは、必要以上に身幅が取られている。これに同ブランド一流のパターンが加わることで、着る人の体型をすっかり隠し、美しい生地のドレープで包み込んでくれる。

特に21SSで使われているNATURAL MELE LINEN/SILK SHIRTINGは適度な重みととろみがあるので、より一層生地の美しさが際立つ仕上がりになっている。

同じくJJVEのKIMONO#8は、名前の通り着物からインスピレーションを得た1着だ。丈の長さや前合わせのディテールも東洋的だが、注目したいのは袖。

着たまま食事をしたり、手を洗ったりしようとすれば、必ずと言っていいほど汚れたり、濡れたりする幅の広い袖になっている。

だからKIMONO#8を着る人は、毎回スッと逆の手を袖に添えて動作をすることになる。この余分に思える所作が、周りから見ると余裕があるように見え、非常に美しく見えるのだ。

ZIIIN 20SS DARMA PANTS
ZIIIN 20SS DARMA PANTS

あるいはZIIINが20SSにリリースしたDARMAも非合理的な美しさを持つパンツだと思う。スリータックにしてたっぷり生地が使われたこのパンツは、JJVEのチュニックと同じく体型をすっぽり隠しながら、生地のドレープで着る人を美しく見せてくれる。

パンツは動きの多いアイテムだから、このドレープの効果はさらに高くなる。歩くたびに揺れる生地の表情が、その人の体型だけでなく所作まで洗練してくれるはずだ。

また、DARMAのようなワイドパンツは、階段を上り下りする時や座る時の所作も美しく見せてくれる。というのも、裾を足に引っ掛けてしまうので、大きな動きをする時は少しだけ裾やウエストを引き上げたりする必要があるからだ。

この時のワンアクションは、JJVEのチュニックの袖と同じく、余白のある振る舞いを作り出してくれる。

V.O.Fでは他にも様々な非合理な美を持つ衣服をたくさん扱っている。それらは「効率」や「生産性」の点から言えば明らかに省かれるものだろう。しかしそういった合理の物差しで測れない領域にこそ、非合理の美は宿るのではないだろうか。

今回このJOURNALを読んで「そんな考え方、服の見方もあるんだな」と思った人は、ぜひ一度“非合理な衣服”を着てみて欲しい。着るたびに変わっていく、自分の心持ちや所作に気付いてもらえるはずだ。

<参考文献>
『FASHION 世界服飾大図鑑 コンパクト版』
『情報の歴史21』
Artscape Artwords 「服装改善運動」
『八つの日本の美意識』

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書き手/鈴木 直人(ライター・ONLINE)