【東京・CONTEXT】ZIGGY CHEN 2023A/W “VIGLUMSY”に見る、「真の美しさの研究」について

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【東京・CONTEXT】ZIGGY CHEN 2023A/W “VIGLUMSY”に見る、「真の美しさの研究」について

程よく気温も下がり、すっかりファッションの楽しい季節になりました。読者の方々も、それぞれのおしゃれを楽しんでおられるのではないでしょうか。

今回のV.O.F JOURNALは、お待ちかねの方も多い、東京・CONTEXTの店主伊藤によるZIGGY CHEN 2023A/W “VIGLUMSY”についてのお話です。

例のごとく今シーズンも素晴らしいクリエイションを見せてくれたZIGGY CHENですが、今回の伊藤の考察では陶芸に、華道に、和歌にと、芸術を縦横無尽に駆け回りながら、同ブランドの「真の美しさの研究」について掘り下げていきます。

ZIGGY CHEN好き、ファッション好きはもちろんのこと、アートや美しいものを愛する人たちにもきっと響くはず。ぜひともご一読ください。

ZIGGY CHEN 2023A/W “VIGLUMSY” とは?

__まずは2023A/Wのテーマ、“VIGLUMSY”とは何なのかというところから教えてください。

伊藤:“VIGLUMSY”はヴィグラムジーと発音する造語で、「活発な」といった意味のvigorous(ヴィゴラス)と、「不作為」という意味のclumsiness(クラムジネス)を組み合わせたものです。

この「不作為」が今シーズンの重要なキーワードです。

__近年のZIGGY CHENの自然崇拝や、道教的な無為自然の考え方はZIGGY CHEN 2023S/S “POETOURNEY”についてでもお話いただきましたが、その流れを汲んだキーワードなんでしょうか。

伊藤:はい、おっしゃる通りです。

今の世の中は作為的な美しさで溢れています。東京や上海はもちろん、近代的な街ならどこでも人によって作られた美しいものが乱立しています。

もちろんそれらは人類が完璧さを追求した美しさの一つの結果ではありますが、時代の流れの中で変わってしまう美しさです。

ZIGGY CHENはそれに対して、時を経ても変わらない自然の中にある美しさに挑戦しているのだと思います。

__しかし、今シーズンのZIGGY CHENの作品を見ると、不作為とは対極にあるような作為的なディテールに溢れているようにも見えます。

伊藤:そこが面白いところで。

不作為なだけだとバランスが取れないので、作為的な制御をしています。

染めやシワ加工で不作為性を持たせた生地に、千切れた生地を継ぎ足したようなディテール、生地の内側が見えるディテール、わざわざシワを起こすように縫われたダーツ、軽くてモダンなシルエット。

ディテールだけ見ると「どうやって職人に指示をしているんだろう?」と思うようなもので溢れています。一般的なブランドはここまでやらない、というかできないことばかり。

__今シーズンのディテールによく見られるシワ、シミ、ほつれ、やぶれって、全部洋服においては嫌なものですよね……。

曜変天目茶碗

伊藤:それがまさに大きなポイントなんですよ。

一般的には忌み嫌われるものの中に美しさを見出し、作品にまで昇華したところに今シーズンのZIGGY CHENの凄さがあります。

日本の国宝で、世界にたった3つしかないとされる曜変天目茶碗は、今でこそ茶碗の最高峰とされていますが、窯元の中国では実はもともと不吉の兆しとして割られ捨てられていたものだったそうです。

なので作り方も残っていないし、現存するものが少ないんです。釉薬や火の加減なのか、それとも土なのか。

偶然焼きあがる不作為なものなのだそうで、どうやってこの茶碗の模様ができたのかも謎。名だたる匠たちがこぞって再現しようと試みますが、同じものはできないんですよね。

写真や実物を見てもらえればわかりますが、曜変天目茶碗というのは本当に美しい。小さな茶碗の中に宇宙が広がっているんですよ。

今でこそ評価されているものの、最初は忌み嫌われた不吉の象徴だった曜変天目茶碗に美しさを見出した人がいたわけです。

Ziggy氏は、まさにこの最初の人のようです。というのも、今期のZIGGY CHENはこの曜変天目茶碗のように、洋服の世界で忌み嫌われる「シワ」、「シミ」、「ほつれ」、「やぶれ」の中に美しさを見出し、昇華させようと表現しています。

__単なる汚いシワ、シミ、ほつれ、不恰好なやぶれではなく、きちんと作為を施すことでちゃんと丸に収めてあるというか、陰陽太極図で言えば陰陽のバランスをきっちり取っているあたりが流石ですね。

伊藤:まさに芸術的なバランスです。

作り手からすれば、自分の作ったものを使ってもらうのが嬉しいことだと思います。服で言えば、どんなに美しいものでも、やっぱり着てこそのものだと思うんです。

そうやって長い時を一緒に過ごした洋服たちには、シワやシミができ、ほつれたりやぶれたりしますよね。

西洋的な「完成された美しさ」を持った洋服だとそれがどうにも見すぼらしく見えてしまいますが、それが味として捉えられる服だと愛着が増し、その人にとって、この上ない特別な美しい服になるじゃないですか。

今期のZIGGY CHENの作品は、手に取る人にとってそんなスペシャルな洋服になるはずです。

昔の知識人が蘇州の太鼓石や茶碗から宇宙を感じていたのと同じように、洋服から宇宙を感じられる。そんな面白さがある作品は世界を探せど他にはありません。それを、芸術品としてのお茶碗と違って実際に着て楽しむことができるというのは、本当に幸せなことです。

「陶芸家は“想像通りの作品”を割り捨てる」―――“VIGLUMSY”の生地に込められた美学

__“VIGLUMSY”のそうした美学は、例えば今シーズンの作品のどんなところに現れていますか?

伊藤:やはり生地でしょうか。今シーズンの生地はいつにも増して作り込んでいるように感じます。

例えば今シーズン使われているベルベットは、糸の段階で染め、生地を織り、捺染(プリント)をし、シワ加工をするーーーこの工程をそれぞれの工場で行うので、この生地を作るだけで4社も経ています。

生地にここまで熱量を入れ込んで洋服を作るのは、それだけ時間もお金もかかるので非生産的で普通はやりたくてもできないことです。

この他にも、今期の生地サンプルを見ると「Tumbled」や「Boiled」「Brushed」「Cold Dyed」「Hand Dyed」「Overdyed」「Slub」といった単語がついている生地が多いです。

作為的に織られた生地に何かしらの加工や表現をすることで、不作為な揺らぎをもたらしているんです。

ストライプやチェックのような柄の入った生地も特徴的です。21A/Wのシーズンでも説明をしましたが、自然界に直線は存在しません。ですから今期のコンセプトから言えば、これらは作為的すぎるわけです。

そこでZIGGY CHENはストライプやチェックの「作為的」な柄の生地に加工を施すことで、うねり、ねじれ、歪んだ「不作為」な揺らぎを作り出しているんです。

__すごい……!加工という作為を施すことで、想定外の結果という不作為を生み出し、そこに美を感じるというのが、今シーズンのZIGGY CHENの美学なんですね。

伊藤:一方で、僕も個人的にオーダーをしたCREWNECK CASHMERE SWEATERの生地は素材そのものの魅力で勝負をしています。このセーターはかなりのオーバーサイズに作ってあるので着る人によって見え方が変わります―――不作為性です。

カシミヤのニットは肌あたりがものすごくいいぶん、毛玉になりやすかったりもします。もちろん毛玉は不作為にできますが、素材がいいので、この毛玉すら美しいんです。

しかも毛玉はよく擦れるところにできますから、着る人によって毛玉ができる場所も変わります。

着心地が抜群にいいからこそついつい着てしまうし、そうして自然と自分だけの美しい毛玉ができていけば、どんどん愛着が湧いてかけがえのない1着になっていきます。

__普通は「ニットの毛玉」ってマイナス要素ですが、このセーターに関しては不作為にできる毛玉たちがむしろ美しさを引き上げてくれるんですね。

伊藤:陶芸の世界で「真の陶芸家」と呼ばれる人たちは、窯で焼き上がってきた作品が自分の想像通りだった場合、その場で割って捨ててしまうそうです。

彼らは自分の想像を超えてくる「不作為性」のあるものだけを美しいと考えるのだとか。それが彼らの作家としてのブランドを守ることになるからです。

Ziggy氏は骨董品を探す旅の過程で“VIGLUMSY”のインスピレーションを得たのだと言います。氏が探し求めた骨董品の中には、古い楽茶碗や高麗茶碗のような、不作為の美を持つ品もあったかもしれません。

そう考えると、今シーズンのZIGGY CHENの洋服たちと、陶芸の偉人たちの作品に共通の美意識が感じられてくるのではないでしょうか。

「萎(しお)れたると申す事、花よりもなほ上の事にも申しつべし」―――“VIGLUMSY”に見る萎れの美学

__“VIGLUMSY”の作品の中でお気に入りを一つ教えてください。

伊藤:もう売り切れてしまったのですが、僕はASYMMETRIC HEM SHIRTシリーズが好きですね。左右の前身頃、後身頃、全ての丈が違うシャツジャケットで、左前見頃には布が裂けて、継ぎ足して、また裂けて、継ぎ足して……を繰り返したようなデザインが施されていました。

さらに同じ左前見頃には、シワと型崩れを作為的に作り出すダーツのディテールもありました。これらのディテールが施されている作品はASYMMETRIC HEM SHIRTだけではないので、ぜひ店頭の他の作品でも確かめて欲しいですね。

__“VIGRUMSY”の美学が凝縮された1着なんですね。

photo by Haragayato

伊藤:この生地が継ぎ足されているところを見ると、割れた茶碗を修繕する金継ぎを思い出します。

お茶碗は意図しないタイミングで割れるものだからこそ、必然的に不作為な割れ方をします。金継ぎという技術は漆と金を使って、割れる前よりも美しいお茶碗に生まれ変わらせてくれます。

汚れてしまったら終わり、壊れてしまったら終わり、シミやシワになったら終わり。そんな現代の作為的なモノの在り方ではなく、より長く、より美しい在り方があるのではないか。

このディテールからは、そうしたヒトとモノとの関係性や価値観を提案してくれているような気がしてきます。

__他にはありますか?

伊藤:SINGLE BREASTED COATも素晴らしいですよ。裏地には迷彩柄のような見え方をするスカラープリントの生地を使っていますが、ここからはより自然と一体化をする道教家の哲学を感じます。

道教の無為自然の言葉の通り、自然と一体化することが大切なので、自然に溶け込むことが目的の迷彩柄のように道教家が影を潜めているのかなと思ったり。

また、このコートは不均一な糸を使ったスラブリネンを使っているのですが、秋冬のコートにリネンを使うというのも、ZIGGY CHENらしいチョイスだなと思います。

ウールとリネンのスタイリングや、これらを組み合わせた生地は、昔から秋冬の季節に着られていた組み合わせです。

でも世の中には「冬といえばウール。リネンは夏」といういわゆる「常識や正解」があって、それをこのコートは思い切りぶち壊してくれます。

「常識や正解」という作為性が街に溢れている中で、不作為的であることの大切さを思い起こさせます。

__このコートは、FRONT PLEATS WIDE LEG TROUSERSとセットアップで着られますよね。

伊藤:はい。このセットアップは作為と不作為の絶妙なバランスの上に成立した、素晴らしい組み合わせなんですよ。

まず生地が作為と不作為の極致です。糸の段階で染めた後、ストライプ柄を織って、仕上げに低温染を加えています。作為を積み重ねて、不作為を生み出しています。

で、このセットアップを一緒に着ると、背中側に走るストライプのラインがぴったりと揃うんです。これはそんなに簡単なことではなくて。なぜなら人間の体は曲線なので、ただ単に直線を揃えるだけでは着た時に微妙にずれてしまうんです。

これを防ぐためにZIGGY CHENはルーズフィットに合わせ微妙にラインがカーブするようにコートとパンツを作っています。だから嘘のようにぴったりラインが揃うわけです。

__めちゃくちゃに作為的なんだ。

伊藤:不作為だけだとバランスが悪いんです。何度も言うように、今シーズンのZIGGY CHENの面白さは思い通りにいかない不作為性と、緻密に計算し尽くされた作為性のバランス感覚ですが、このコートはそれを見事に表現した1着だと思います。

ちなみにSINGLE BREASTED COATの面白さはポケットにもあります。

玉縁ポケットかと思いきやこっちはフェイクで上からポケットを継ぎ足したかのように見えます。

__継ぎ足しの美学!

伊藤:まさに。今シーズンを貫くこうした美学は、華道に通じる部分もあります。僕の友人の華道家によれば、盛りの花だけの生花は美しくないのだそうです。盛りの花だけでなく、つぼみのもの、萎(しお)れたものと組み合わせるからこそ、より美しい作品になるのだとか。

これは伝統芸能である能を創った世阿弥が遺した理論書『風姿花伝』でも語られている、「萎(しお)れの美学」です。世阿弥は本書の中で次のように書いています。

「萎れたると申す事、花よりもなほ上の事にも申しつべし。花無くては、萎れ所無益なり。それは湿りたるになるべし。花の萎れたらんこそ面白けれ、花咲かぬ草木の萎れたらんは、何か面白かるべき。」

(演技を評価する際に「萎れている」と言うのは、「花がある」と言うよりも高い評価をしている。しかし花のない者に萎れた演技をすることなどできない。それは単に湿っぽいだけである。花が萎れるからこそ面白いのであって、もとから花の咲かない草木の萎れた姿に面白みなどあるわけがない)

このバランス感覚は、鎌倉初期の歌人、藤原家隆(ふじわらのいえたか)にも備わっていたものでした。家隆は春の美しさについて、こんな和歌を詠んでいます。

花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春をみせばや

(春といえば花=桜ばかりを待ち望んでいる人に、山里の解け始めた雪の間から顔を覗かせる草が湛えている春を見せたいものだ)

ものすごくカジュアルに言い換えれば、「春といえば桜だと思っている人が多いけど、それだけだともったいないよ。本当の春の美しさっていうのは、雪間の草にあるんだよ」と言っているんです。

死に絶えた冬の景色から顔を覗かせた緑が大地を覆い尽くしていく。そんな生命の瑞々しい美しさが目に浮かびます。

__華道家の人も、世阿弥の『風姿花伝』も、藤原家隆も、みんな目の前の事象だけでなく、その前後にある時間の流れに思いを馳せる行為やその時間に美しさを感じているんですね。

伊藤:そうなんです。洋服で言えば、どうしてここはシワになってしまったんだろう、汚れてしまったんだろう、ほつれていて、裂けてしまったんだろう……そう考える余地のある目に見えないものにこそ、真の美しさがあるという考え方です。

先に紹介をしたASYMMETRIC HEM SHIRTやSINGLE BREASTED COATのように、左身頃では生地が千切れ継ぎ足され時間の経過を感じさせるのに、右身頃は比較的シンプルなバランスです。この対比に美しさを感じずにはいられません。

人間も同じで、よく笑う人には目尻や頰にシワができるじゃないですか。僕はそんなシワってすごく素敵だと思うんです。年を重ねることの美しさや素晴らしさって、人も洋服も一緒で。一緒にエイジングを楽しんでいけるって素晴らしいことですよね。

「真の美しさの研究」に突き進むZIGGY CHEN

__誤解を恐れずに言えば、ZIGGY CHENはシーズンを重ねるごとに「わかりにくさ」が強くなっている気がします。

でもそれは難解になっているというより、真の美しさ、つまり芸術を追求しているからなのかなと思います。深く考えるだけじゃなく、鋭く感じないとわからないというか。

伊藤:「ZIGGY CHEN」というブランド名で買うのではなく、しっかりと感じ取ったうえで作品を手にして欲しいという思いが表れているように感じます。

実際ZIGGY CHENは世界的に取り扱い店舗も少しずつ増え、徐々に知名度も高まってきているので、ブランドの名前だけでも手に取ってもらえるんじゃないかなと思います。

ビジネスだけを考えているなら、もっとデザインやテーマ性をわかりやすくした方が成功するはず。でもテーマ性はどんどんわかりにくくなるし、デザインに関しても万人受けのする黒を敢えて極力使わないようにしています。

これらが「真の美しさとは、本当の豊かさとは、自分にとっての正しさをしっかりと考え感じて欲しい」というメッセージのような気がしています。

こういうことは、なかなかネットでは伝わらないと思うので、やっぱり実際にお店に来て、実物に触れて欲しいですね。そうして真の美しさについて研究しようとしているZIGGY CHENの崇高さや、そこから伝わる洋服の楽しさを皆さんにわかってもらえればと思いますね。

__陶芸、華道、和歌と、多彩な切り口でのお話、とても面白かったです。ありがとうございました。

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