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服屋に鏡があるのはなぜ“当たり前”なのか? – 歴史学×心理学で紐解く、ファッションと鏡の深い関係

こんにちは、V.O.Fライターの鈴木です。

私たちは服屋に行って服を選ぶとき、当たり前のように鏡に映る自分に服をあてがったり、試着した自分を見て「イケるか、イケないか」を判断したりしています。

少なくとも筆者は鏡のない服屋を見たことがありません。

それもそのはず、商品を着た自分を想像することしかできなければ、服選びは一気に難しくなり、買い物がしにくくなるからです。

「でもちょっと待てよ。今みたいに鮮明に映る鏡がなかった時代もあったはず。その時代の人たちは、どうやって服を選んでいたんだろう?」

日々ファッションや買い物を楽しむ中でこんな問いを思いついたとき、筆者はなんとなくファッションと鏡の間に、切っても切れない関係があるような気がしました。

そこで今回はファッションと鏡の深い関係について、「歴史学」「心理学」の観点から紐解いてみたいと思います

我ながら相当にマニアックな考察なのですが、読めばきっと鏡を見ること、ファッションをすること、そして人生そのものがもっと楽しくなるはず。週末のチルタイムにでもご一読いただければ幸いです。

「鏡」と「ファッション」は同じ時代に生まれた

平らな板ガラスに歪みなく映り込む筆者。

今日を生きる私たちは、毎日歪みのない鏡で、歪みのない自分を見ることができます。さらに言えば、百貨店のショーウィンドウや電車の窓にも、ある程度現実に近い自分を映すことができます。

しかし150年くらい前までは、平均的な年収の家庭にはまともな鏡は一枚もなく、歪みのない自分を見られるのはごく一部のお金持ちだけでした。

鏡の歴史自体は紀元前数千年のアフリカやエジプトにまでさかのぼることができますが、一般に普及したのは1900年代に入ってから。

最も原始的な「鏡」の一つが水面。古代の人たちが「自分」を見るには、これくらい頼りない道具しかなかった。

産業革命による技術の進歩は、それまでは難しかった平らな板ガラスの大量生産を実現します。

歪みのない鏡は、こうして作られた板ガラスを加工する形で生産されたので、従来よりも格段に安く手に入れられるようになりました。

結果としてこの時代のアメリカでは、どの家庭でも最低1枚、たいてい数枚の鏡があったとされています。

私たちが今使用している鏡も、楽しんでいるファッションも、150年前には「当たり前」ではなかった。

実はファッションが一般に普及したのも、同じ1900年代初頭。ファッション研究の世界では、女性をコルセットから解放したとされるポール・ポワレの登場が近代ファッションのスタート地点と言われます。

1900年代初頭といえば、世界各国で視覚文化が爆発的に盛り上がった時代です。

例えば映画が誕生したのも、急速に技術や表現が進歩して、一つの娯楽として確立されていったのも同じ時代です。

目で見て楽しむショーウィンドウが街中に登場したのもこの時代。ショーウィンドウを世界に先駆けて設置したのは西洋の百貨店でしたが、日本に初めて百貨店ができたのも、1905年のことでした(三越呉服店の「デパ-トメント・ストア宣言」)。

このように鏡とファッションは偶然にも同じ視覚文化の誕生期に生まれた、兄弟のような存在だったのです。

鏡とファッションが「自分」を作る?

鏡を見ることと、ファッションを楽しむことには密接なつながりがある。

「ただの偶然じゃないの?」と思うかもしれません。しかし、心理学の視点から考えてみると、ただの偶然では片付けられない関係性が、鏡とファッションにはあることがわかります。

私たち人間は、自分に対するイメージを持っています。いつもと違う服を着た時に「自分に合っていない気がする」と感じるのは、自分に対するイメージを持っている証拠です。

この自分に対するイメージが何で作られているかと言うと、性別や年齢、身体的な特徴、性格のほか、友人関係や他人からの評価などが影響すると言われています。

特に中学生以降になると、友人関係や他人からの評価などのいわば「他人の目」が自分に対するイメージに大きな影響を与えるようになります。

鏡は自分を映すだけでなく、自分を作るための道具なのかもしれない。

鏡はこの他人の目を自分の中に取り込むための道具です。

髪型はおかしくないか?
髭の剃り残しはないか?
肌の調子はどうか? etc

これらは全て他人の目で見た自分が、おかしくないかどうかをチェックしているのです。

そして、もちろん鏡に映るのは髪や髭、肌荒ればかりではありません。着ている服も映ります。

服選びのときに服をあてがったり、試着して「イケるか、イケないか」を判断したりするのは、抱いている理想の自分(こうなりたいという自分、こうありたいという自分)のイメージと鏡の自分を照らし合わせる行為なのです。

つまるところ、鏡を見ることも、ファッションを楽しむことも、どちらも自分に対するイメージを作ったり、調整したりして自分らしくなろうとすることだと言えます。

このように考えると、鏡とファッションが同じ視覚文化の誕生期に生まれたのも、あながち偶然ではないように思えてこないでしょうか。

鏡を見る意味、ファッションを楽しむ意味

人生の豊かさの基準は人それぞれですが、自分らしくあるために努力をすることは、人生を豊かにするための一つの重要な方法だと筆者は考えています。

私たちは服を選ぶとき当然のように鏡を見ますが、それは理想の自分に合う服を追い求め、目一杯ファッションを楽しんでいる瞬間とも言えます。

服屋がファッションの楽しみ方を提案し、お客さまと共にファッションを楽しむ場所なのだとしたら、服屋に鏡があるのは“当たり前”なのでしょう。

だから、京都・乙景や東京・CONTEXTに限らず、服屋に行ったらたくさん鏡を見て、ああでもない、こうでもないと言いながら、あれこれたくさん服を着てみるべきなのかもしれません。

なぜなら、それこそがファッションを楽しむことであり、人生を豊かにするためのエクササイズなのですから。

<参考文献>
『鏡の歴史』マーク・ペンダーグラスト著/樋口幸子訳
『言葉と衣服』蘆田裕史著

<NEWS>
・まもなくZIIIN 2022SS COLLECTIONの第2便が到着。
・ZIIIN販売会が花巻(4/29〜5/1)、盛岡(5/3〜5/5)で開催。
・tomo kishida展示・販売会がCONTEXT(4/29〜5/1)、乙景(5/6〜5/8)で開催。

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書き手/鈴木 直人(ライター)