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COLUMN

【寄稿】破壊と再生の輪舞曲

引用:Wikipedia

「人間は遊ぶ存在である」と定義したのはオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガでしたが、では「人間は迷う存在である」と定義してみるのはどうでしょうか。

生き方に迷い、仕事に迷い、恋に迷い、買い物にも服選びにも迷う。私たちの人生には、迷いが満ち溢れているものです。

今回のブログはV.O.F JOURNAL初の寄稿文です。執筆くださったのは、横浜は東急東横線白楽駅から徒歩3分のところにある、Tweed Booksの店主・細川克己さん。主に文芸、哲学、服飾関連書、デザインの古本を扱う古本屋さんです。ZIIINデザイナー中村と懇意であることから、今回寄稿いただけることになりました。

買い物や服選びに迷い、悩んだことのある人なら、きっと楽しんでもらえること請け合いの1本。ぜひ梅雨の日のお供に、ご一読ください。

引用:Wikipedia
チャタレー裁判を傍聴する坂口安吾(最前列右から2人目)、1952年1月18日

《失敗せざる魂、苦悩せざる魂、そしてより良きものものを求めざる魂に真実の魅力はすくない》坂口安吾「デカダン文学論」より

好きな人はいますか?好きな物はありますか?

そういった好きな人や物から相手にされない、そっぽを向かれる、裏切られる。それらは苦痛です。振り向いて欲しいですね。

服はどうでしょう。一目見て、これは着てみたい、惚れた、欲しい、自分のものにしたい、ところが実際に着てみると、おかしい、こんなはずではなかった、だまされた、自分の目はおかしいのだろうか、いやこれ鏡が変なのではないか(そう自分の姿は鏡や他者の視線からしか認められない)。

あるいはお金が足りなくて自分のものにならない。似合わないけどもどうも惹かれてしまい欲しいけどどうしよう、または金銭の事情で手に入れられない、といったことは身に覚えがある方いらっしゃるのではないでしょうか。そうですかありませんか。わたしはあるんです。自分の持っていないものに対する憧れです。

なんてことを思ったのは近頃立て続けに坂口安吾のツンツンと小憎らしくも美しい女性が出てくる伝奇小説、読み返す度にハッとする評論を読んだからです。

安吾の小説では、考えても考えても満たされないという苦悩がよく見られます。削ぎ落として削ぎ落として、己の真理に辿り着こうとする。そうして残ったものが本当なのか?では満たされて幸福になることが目的なのか、否である。ただ欲望のみが残る。やりきれない虚しさである。

冒頭の、好きなんだけど着てみるとどうもしっくりこない、あるいは手に入れられない、という状況は苦悩です。

本当に欲しいのか、心の底からそう言えるのか、モテたいなんて邪なことを考えていないか、自分の生活に本当に必要か、純粋に欲しいのか、お昼ご飯どれくらい我慢すれば良いのかなどと苦悩し、惚れたからには諦められない。もしかしたら似合う時が来るのではないか、違うスタイリングや髪型変えたらしっくり来るのではないか、御飯を我慢してお金を工面する、などと未来に賭ける時があります。

そうしてこの件に関しては実は買ってしまったら、もうその苦悩は終わりなのです。しかし違う苦悩が始まります。欲望は次へと進むのです。そうして他に好きなものができてしまう。

しかし同時に次の価値の発見が行われます。勿論手に入らないこともあります。そもそも自分の思い通りにいくことがなんと少ないことか、だからこそ手に入れられそうな時に無理をしてしまう。

ところでその買ってしまう前段階、苦悩の中にあった「似合う似合わない」という判断について考えてみたいのです。それは一体どこから来るのでしょうか。安吾の『デカダン文学論』にヒントがあるかもしれません。

以下は安吾の言葉をそのまま流用し抄訳してあります。私の意図が入ってしまっていますので、ご興味がございましたら是非とも原文に当たってみてください。

肉体の論理によって真実を探究する真の自己破壊ではなく、つまり自分自身が怖れ悩んでいることではなく、型(自分のものでない世間)の論理で都合よく思考して作品を書いた、と島崎藤村や横光利一を批判する。すなわち、こう書けばこう読みこう感心するだろうくらいに舐めている、型の論理が巧みで健康に思考していると。

そうではなく作家とは問題はいかに生きるべきか、いかに真実に生きているか、秘密の真相を常に暴露しているのである。そして本当の倫理とはかならず倫理自体の自己破壊が行われており、現実に対する反逆が精神の基調をなしている。(こういった自己破壊および反逆が精神の基調をなしている作り手に覚えがありますよね)

もしかしたら似合わない、ちょっと違うという思いや違和感は世間の型にはまった思い込みかもしれません。

どこかで見聞きした型にはまった服、健康的な服、論理的な服ではなく、もっと自由に服を楽しんでいきたいのです。一見、服が身体について来ずに嫌われている、そっぽ向かれた、こちらの好きという思いを裏切られた、などと思う前に惚れたんだ「着てやるぞ」という気持ちが大切だと思うのです。

まぁそう言って、やっぱり失敗したというのがたくさんあるんですけどね。しかし不思議と後悔していません。

勿論これを人間相手にしてしまうと大変な問題が起こるので別の話としてお考えください。

きっと「生命を引き換えにしてでも表現せざるを得ない」(坂口安吾『日本文化私家観』より)中村師のレーベルZIIIN、私はANGOから挑戦してみようと思います。

他者の視線を気にしすぎる作為により狙ってつくるのではなく、また装飾的な枝葉について、あるいは素材等の蘊蓄ばかりについてフォーカスされる服といったものではなく、とことんまで便利だとする欲求を満たす服、例えば身体がリラックスすることだけを追求した服、あるいは美しいものを愛するのは人間の本性であり、そこに心血を注いだと勝手に想像しています。

寄稿者プロフィール

細川克己
2014年にTweed Booksを開店。主に文芸、哲学、服飾関連書、デザインの古本を扱う。本を読んで生きていたい。
HP:http://www.tweedbooks.com/
Instagram:https://www.instagram.com/tweedbooks/
Twitter:https://twitter.com/tweedbooks

編集/鈴木 直人(ライター、ONLINE担当、乙景販売スタッフ)